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パキスタンスーフィー、ラホールでのドール修行についてのブログ


by rabiya
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アニキ

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Pappu Sain宅に伺うのは何年ぶりだろう。
恐らく8年以上ぶり。
師匠宅付近のチョーク(辻)から薄っすらと残っている記憶を頼りに歩き始める。
途中までは意外にも記憶が確かだったような気がしたが、どこを間違えたのか最後の最後で迷ってしまう。
近所の人にPappu Sain宅はどこかと聞きながら歩いたら、いつもとは少し違う方向からあっという間に家に着いた。
思いの外いい線いっていたらしい。

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Pappu Sainは家にいなかったが、オカンがいた。
当時と全くかわらない。
オカンは少し気の抜けかかったコーラをバラフ(氷)入りのグラスにいれて出してくれた。
どうにもオカンらしい。
そして、師匠宅の隣に家を構えるJura Sainがいた。
Jura Sainのことは今回少し心配していた。
色んな人が彼の体調を心配していたからだ。
元々小柄で細身の彼は少し髪が伸びたことと、少し痩せたように思われたこと以外は以前とそれ程変わっていないような印象だ。

Pappu Sainの元へ弟子入りした頃、Jura Sainには本当に色々とお世話になった。
ボールはもちろん、その他にも沢山のことを教えてもらった。
時には怒られることもあったけど、言葉もままならない私達外国人二人を温かく見守ってくれた。
gramaliは男同士だからまだいいが、私は女なので手間がかかる。
基本的に彼らは男社会で暮らしているので、行く先々で女一人そこにいると何かと面倒なのだ。
そんな面倒な存在でもある私のことを本当に気遣ってくれた。
Jura Sainの側にいれば安心できた。
しかしその安心感は私だけではなく、多くの兄弟弟子達もまたブーティーで少しいい気分になっている師匠からの無理難題を避けるべくJura Sainの周りに集まってきていたものだ。

この日は、Jura Sainの二人の息子も一緒だった。
長男くんは一緒にShah Baz Qalandarのお祭りに行った。と言ってもシャーバースではタライで気持ちよさそうにお母さんに沐浴させてもらっていた程の赤ちゃんだったので、私達のことは記憶にはないだろう。
次男くんは初めましてだ。
Jura Sainの息子たちはまっすぐ素直な少年に育っていた。
それが嬉しかった。
そう言えば、ひとつだけ以前と明らかに変わったことがあった。
それは彼がジョラはおろかタバコのの煙すらくゆらせなかったことだ。

パキスタンに足を運ばなかった8年間、色んなことがあり確実に変化していったのだろう。
同じ期間、それほど変化することもできず、ただ停滞している私とは違って。
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# by rabiya | 2016-10-06 22:49 | 8年越し